銀行員時代

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就職活動

売り手市場

 私の学生時代はバブル絶頂期でいわゆる「売り手市場」でしたんでいろんな会社からDMも送られてきました。

行く気もないのにごちそうに恩恵に浴したいとOB訪問も。

ただ、志望業種は金融機関、特に銀行にターゲットを絞ってました。

しかし、銀行という業種は成績重視のするところが多く、「可山優三」(加山雄三をもじって成績の芳しくない学生を当時こう呼んでました)であった私はなかなか面接までいきませんでした。

唯一、OB訪問し、後日人事面接があり、その日のうちに内定を出した銀行があり、

「お世話になります」と回答。

別の銀行も面接を受けており2,3日後に最終面接を控えていましたが内定をいただいたので断りの電話をいれることに。

まさかの留年

 ただ、卒業間際に単位を取り損ない「留年」するはめに。

銀行に謝りにいったことは今でもはっきり覚えてます。

「また就職活動するのかぁ・・・」

ただ、GWが終わった後、「気が変わらなければ来ない?」と電話があり、

即「お世話になります」と即答(^0^)

そこから必死で勉強したらよかったんですが・・・

でも、なんとか高飛びでいうならバーは揺れてるものの落ちずにクリア!

といったところでしょうか(^_^;)

晴れて?大学卒業し銀行に。

銀行員に

私自身、こんな雰囲気じゃありませんが・・・

最初半年は内部事務

伝票の流れやATMや両替機の紙幣や硬貨の補充と力仕事もかなりありました。

それがいやで、支店長に「外回りしたい」と直訴し、異動(゚∀゚)

転勤、そこで待ってたのは・・・

赴任した支店では・・・

支店長がとても厳しく、

毎週月曜日の朝7時30分から業務会議。

今週の目標の発表等を。

毎日夜8時までくらいまでは外回り。

入金等処理が終われば役席による数字の詰め。

退店時刻は11時を超えてました。

今では考えられないです。

父親も金融機関勤務していたんで3時にシャッター降りても帰りは遅いということは知っていましたがこんなに遅いとは・・・

土曜日は法務局???

そんな「仕事命」な支店長でしたんで休日である土曜日はもちろん

出勤でした(驚)

月中、月末はお客様のお宅へ訪問し定期預金のお願いに奔走。

月初は?

これがすごく、

法務局集合

何をするかといえば、不動産担保ローン対象先を見つける作業を。

登記簿冊をチェックし、担保を設定されている先、特に金利の高いところで融資を受けている先を探し、リストを作成し、翌週から交渉(゚ロ゚)

このような常軌を逸した?支店長に鍛えられる。(その後、このような支店長に巡り会わず(^_^;))

早期是正措置、そして破綻

以降、転勤で3店舗外回りを経験し、預金も融資もそれなりに経験を積み、中堅どころになって順調に推移していた(と自分では思っている)。

株式買ってもらえぇ

金融監督庁(現金融庁)が検査に入っていて、検査の結果、自己資本比率が4%を割り込んでいて、

「早期是正措置」

が発動。文字通り2週間以内に是正する必要があった。

今まで公開していなかった株式を買ってもらえとか・・・

結局自己資本比率4%に達せず

経 営 破 綻

に・・・


金曜日の夕方発表がありました。

阪神巨人戦

いつ知ったか?

それは退店し、上司と食事をして見ていたプロ野球(阪神巨人戦)でのテレビのテロップでした(゚o゚;)

(上司)「明日出社やなあ」

(私)「そうですね」

(上司)「支店長(明日)来ないんで大変やで」

というのも、翌日後輩行員が結婚式で支店長が出席するためそんな言葉を。

翌日土曜日には翌月曜日に出金に来られるお客様の誘導、案内、現金受け渡しの案内準備をロビーで。

夕方には本部から現金が。

破綻決定しての最初の営業日

100万円1束が10束に封されていたもの(大封紙といいます)が10個(という表現が適切かわかりませんが)、すなわち1億円1パックが5パック、5億円が届きました。


週開け月曜日、予想通りに長蛇の列をなして預金の解約にこられるお客様でごったがえ。でも、先週末に準備していたので大きな混乱もなく、また、現金が伝票と合わないという違算もなく1週間が過ぎました。

お客様に対し申し訳ない気持ちと、必死で預金としかき集めたお金が一瞬で出ていく虚しさとが交錯しました。

営業譲渡


銀行内に「雇用開拓班」が設けられました。次の就職先をあっせんしてくれる部署です。

個人的には「恵まれすぎちゃう?」と思ったんで利用することはありませんでした。

破綻すると金融整理管財人が入っての業務となります。

金融整理管財人の仕事は銀行の業務を行うことはもちろんですが、同時に譲渡先を見つけるという重要な任務を負っていました。

我々行員の最大の関心事はどこが譲渡先になるか、その一点でした。

半年以上かかり、譲渡先が決まりました。アメリカの投資ファンドでした。

次はそこにいけるかどうかにうつっていきました。

中には、「あそこが譲渡先では・・・」と転職する行員もいました。

私自身、勝手に行けるものと思ってたんで転職など考えていませんでした。

譲渡先が決定し、そこを希望する行員に対し試験がありました。

題材は忘れましたが、小論文でした。

私は運良く新銀行(譲渡先が出資した銀行)に再就職できました。

新銀行


新銀行での業務が始まりました。

基本的に今までと同じです。

ただ、出資ファンドは「2,3年の間にスリム化を図り合併(というより売却)を目指す」ことがわかっていたんで今後の関心事は自分が次の合併先に行けるかどうかでした。

そんな思いは3ヶ月ほどで吹っ飛びました。

支店長から

「出向や!」

との通達。

期間は1年。業種は消費者金融、いわゆるサラ金でした。

出向まではかなり日数があり、その間の業務には気の入らないものでした。

通達があって半年して出向に。

出向

ローンの一本化ぁ?

業務内容は他社の消費者金融で借入しているローンの一本化の案内、推進業務でした。

銀行時代は保証会社や保証協会の「保証」があるので万一支払えなくても100%カバーでしたんで腹は痛まないんですが、消費者金融は100%プロパー。

それも他社の借入をまとめるローン。

諸刃の剣でした。

「え~、ようやるわ~」

が正直な感想でした。

1件あたりの金額が大きくなるんで残高アップにはこの上ない商品。

しかし債務者がバンザイすればその分損失拡大。

1年もしないうちに自己破産等が増え取扱い中止に。

人事部が出向先に


間もなく1年に経つかどうかの頃に人事部が出向先に。

それまでも何度か来てましたが、今回は「戻るか否か」

人事「どうなさいますか?」

私「転籍します」

と伝えました。

最初から片道切符ということはわかってましたし、仮に戻ってもそれなりの待遇が待っているだろう、と思ってました。


また、消費者金融業界もどんなのか知りたいということもありましたんで。

人事「残念ですねぇ」

(私「ウソ嘘つけぇ」)

転籍

およそ一年の出向期間を経て銀行を退職。

サラ金会社に転職することとなりました。

サラ金時代 へ

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この記事を書いた人

30年余の金融機関勤務経験より役立つ情報を発信しています。
金融ジャンルのSEO記事制作をメインに執筆。
趣味は楽器演奏(ホルン)にマラソン。

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